オフショア開発の導入事例

使用ソフト
CATIA V5 HD2

導入の背景

MDH(Moriroku Design Ho chi minh) 作業風景(2006年)

2006年は中国への投資に熱心だった時代で、インドやベトナムをまともに検討する会社は極めて少なかった頃です。3D-CADは普及したものの「3Dが描けるエンジニア不足」をどうやって解決するか、という問題について、インド人、ベトナム人エンジニアを日本国内に招聘して派遣で運用することさえ珍しかった。アールテクノはCAD/CAM分野での外国人エンジニア派遣として草分け的存在でしたが、ご案内のように、自己利益を最大限に追求するインド人、ベトナム人が来日すれば、「この給与は自分が日本で獲得しうる最高額の給与だろうか」ということを考え始めます。お金を稼ぎに来ているという明確な目的で来日している彼らは、「別な会社に行けば(何しろ就労VISAを持っている!)、もっと高い給与を得ることができるかもしれない」と考え、「日本国内でベストな待遇」を要求します。結果、派遣単価は上昇し、お客様(メーカー)にしてみれば、安くない労働力とみなされます。厄介なのは、エンジニアリングの仕事が技術的な蓄積の上に成り立っているので、簡単に「値段が高くなったから、安い人に替える」わけにはいかないことです。そこで、アールテクノは日本に招聘せずに、インドやベトナムでエンジニアを活用することについて、考え始めました。これがオフショア開発の始まりです。最初にその企画を真剣に検討していただいたのが、アールテクノのオフショア開発としては第一号のお客様となる森六テクノロジー株式会社様(栃木県真岡市)です。当時を振り返りつつ、構想や意図についてお話を聞かせていただきたいと思います。

Interview

質問者: 株式会社アールテクノ 高橋
回答者: 森六テクノロジー株式会社 設計 ご担当者様

Q1-2006年5月にチェンナイにある弊社拠点を使ってインド・オフショア開発をスタート、2008年6月にはホーチミンの弊社拠点を使ってベトナム・オフショア開発をスタートさせました。派遣(日本国内)でインド人やベトナム人エンジニアを使うのと、オフショアで彼らを使うことの違いは何ですか。メリット・デメリットがそれぞれあるでしょうけれど。

MDC(Moriroku Design Chennai) 開発ルーム

A1-日本に来ているエンジニアは、そもそもスキルも高く、即戦力として活用することが出来ます。オフショアですと、現地エンジニアを即戦力として活用することは困難です。そのデメリットを克服する為、定期的に現地へ設計者を赴かせ教育を実施し、スキル向上を行なって来ました。デメリット克服後の現在では、国内同等のパフォーマンスで活用が出来ています。

Q2-貴社は、アールテクノのオフショア開発プロジェクトをインドとベトナムの両方で導入いただいた唯一のお客様でもあります。インドとベトナムの違いのようなものはありますか。両方に愛着があったかと思いますが。

A2-確かに当時を振り返ってみると、かなり冒険的な施策だったのかと改めて感じます。
当時は新機種開発ラッシュとCATIA V4からV5への移行期で、設計者の負荷増大が顕著になりました。その対策として、設計業務の分業化に着眼しました。中でも特に工数負荷が高い『モデリング業務』の改善施策として、オフショア開発を選択し、現在に至っております。

Q3-貴社グループは1663年に始まり350年の社歴を誇る企業でありながら、保守的な感じがしません。自動車部品のデザインにおける3D-CADによるオフショア開発という、当時画期的というか、かなり冒険的ともいえる試みに挑戦できた背景のようなものを教えていただけないでしょうか。

A3-インドはIT系エンジニアが豊富で、比較的容易にエンジニアを確保することが出来ましたが、離職も多く、エンジニアのスキルが安定しない傾向でした。ベトナム(特にホーチミン)はIT系エンジニア自体が少なく、エンジニアの確保に苦労しました。しかし、離職が少なく、エンジニアの固定化でスキルも向上し、今では開発の大きな要となっております。

MDHメンバー(森六テクノロジー様専属エンジニア)

Q4-「外国人エンジニアを外国で使う」という方法は、コミュニケーション(設計業務の打合せ)や機密情報(大量のCADデータ)の受け渡し、業務の進捗管理など、苦労された部分はありますか。当時はインドもベトナムも電力インフラが弱く、しばしば停電になっていました。どのように対応されましたか。

A4-インドのオフショア開設時点で、コミュニケーションとCADデータの送受信ツールは最善の物を用意していましたが、頻繁に停電が発生する事象に見舞われました。停電が発生すると、一切の業務が出来なくなってしまいます。開設前には気付かなかったことで、急遽発電機を導入し、対策を行ないました。ベトナムのオフショアは、インドでの教訓を活かし、開設時には発電機も同時に導入しました。

モデリングの参考にする自動車部品

Q5-オフショア開発では、比較的簡単な作業的な仕事(ただマンパワーがあれば良いような)をやらせるという考え方もありますが、貴社の場合はそうではなく、技術的には日本側の社員と同じレベルの要求水準で、厳しくアウトプットのクオリティを求めていました。彼ら(アールテクノの所属で、森六テクノロジー様専属のエンジニア)はその期待に応えられましたか。また、彼らは技術者として、人間として、日本人と比べてどのような印象でしたか。

A5-我々は、常に日本同等のクオリティを現地エンジニアに要求してきました。設計者を現地に赴かせ教育だけでなく、現地エンジニアと双方で業務改善に向けた議論を何度も交わしました。その中で、特にモデリング領域では、日本以上のクオリティを目指し差別化を計ることで、業務効率向上を行ないました。
実務を遠隔地で行なっているだけで、現地エンジニアも我々の大切なメンバーです。現地エンジニアも同じ思いで取り組んでいますので、技術者として人として、十分期待に応えていると感じます。

MDC(アールテクノ・チェンナイオフィス内)での打合せ

Q6-年に一回貴社からエンジニアを評価していただき、それにより彼らの給与が改定され、貴社がアールテクノに支払う金額も変化するという仕組みです。その評価項目に「日本語」が入っているために、全員日本語ができるようになったのかもしれません。「他のエンジニアとの比較」「去年の自分との比較」は客観的な数字によって表されますが、離れたところにいる相手を評価するポイントのようなものはありますか。また評価についての考え方を教えてください。

A6-日々、アウトプット(品質、スピード)を確認しています。それを行なうことで、更に深い部分(理解力、応用力、伸び代)も見えてきます。時にはエンジニアと面談も行なっています。
モデリング領域に関する評価ですが、ベテラン設計者を基準に対比を行なって数値化しています。『日本語』に関しては、評価項目に入っていることで、エンジニアが自主的に勉強や日々のコミュニケーションで日本語能力が向上したと感じます。

森六テクノロジー(North America)様の仕事を担うエンジニア

Q7-貴社は弊社の外国人エンジニアに対して、まるで貴社の社員と同じように接し、知識を与え、技術的なノウハウを惜しげもなく教えていただきました。エンジニアは貴社のおかげで成長できたし、経験を積み、スキルを高めていくことになりました。エンジニアの成長や教育に関するお考えをお伺いいたします。

A7-日本側とリアルタイムで開発業務を行なうには、エンジニアの育成は必須です。設計者がプロジェクト毎に現地長期滞在での技術指導を直接行なったり、エンジニアを日本へ招聘することで更なるスキル向上を目指しました。エンジニアの成長が、将来的には利益になるので、育成は重要なことだと考えて運営を行なって来ました。その甲斐もあり、現在のエンジニアスキルはハイレベルで、スムーズな開発業務が行える様になりました。

モデリングの参考にする自動車部品

Q8-アールテクノのオフショア開発は継続的な運用を前提としており、仕事があってもなくても一定の金額が毎月かかり続けることになります。その代わり貴社専用の固定メンバーで、彼らの成長がプロジェクトの成果を決める、という内容です。したがって「仕事があるときだけ出す」というのとは異なります。いわゆる国内の設計請負と比較して、常用型(アールテクノのオフショア開発)のメリット・デメリットについて教えてください。

A8-オフショアも開発に必要な工数として計画に組み込んでいますので、費用的なことをデメリットに感じたことはありません。モデリング業務は、常に一定の工数が必要なので、業務の分業化でのメリットが大きいと感じます。また、請負型ですと、アウトプット品質が我々の要求に満足しないことがありますが、オフショアですと確実に要求品質の物がアウトプットされますので、これも大きなメリットと考えています。

MDH(Moriroku Design Ho chi minh)

Q9-アールテクノのオフショア開発は、ベトナムの開発ルームの中に3名のチーム編成を基本とし、そのうち一人が日本語のできるリーダーとしております。貴社の場合はベトナム側のリーダーの他に、さらに日本側にもリーダーを設置しています。当然、日本側に人を置くとコストが増加するのですが、全体のアウトプット・パフォーマンス対コストで見ると、日本側のリーダーについてどのようなご見解でしょうか。

A9-オフショア開設当初は、現地エンジニアのスキルも今の様に高くなく、現地との時差も少なく、日本とリアルタイムで業務を行なうには、日本側にスキルの高いリーダーを設定する必要がありました。現在は、設計者と現地エンジニアが1対1で業務が行えるまでスキルも向上し、日本側にリーダーを設定する必要性は薄れて来たのかと感じます。
しかし、現地独特の考え方や風習なども含め日本側とのパイプ役として、またリーダー業務だけでなく日本で開発業務も行なっておりますので、オフショアリーダーと日本での開発業務に必要なエンジニアと考えおります。

Q10-貴社はインドのオフショア開発はベトナムよりさらに先行して行ってきましたが、東日本大震災のときに終了となりました。結果、貴社のベトナムでのオフショア開発が最も長く、今年(2017年)で10年の節目となります。10年前に採用した人間が今も3名(?)残っておりますが、振り返ってみていかがでしょう。また、今後の課題をお聞かせください。

A10-当初は、10年間の活用を想像しておりませんでした。また、10年前のエンジニアが残っていることに敬意も表しています。10年も業務に携わっているので、我々の業務内容も熟知し、重要な開発要員となっています。今まではモデリング業務に特化した活用でしたが、これから先も同じことでいいのか、製品レイアウトを含めた高度な業務もやるべきなのか、この先の5年10年を見据えた運営が課題と考えています。

アールテクノへのコンメント

森六テクノロジー株式会社 常務執行役員 技術研究所長 金子雅之 様
私が、森六テクノロジー(株)技術研究所を前任から2010年度引き継ぐ頃は、既にアールテクノ(旧REVOトレーディング)様とインド(以下MDC),ベトナム(以下MDH)2か所での設計モデリング(オフショア)業務運営されておりました。しかし当時、リーマンショック後の不況が続く中、東日本大震災、タイ洪水等に見舞われ、特に日本の自動車メーカーの減産は自社にとっても大変厳しい経営環境下に置かれていました。企業存続をかけ経費削減が急務となり、開発費用抑制、人件費削減と様々な施策を断行していかなければならない時期、その中でも、今後を見据え我々部品サプライヤーの役責はより高まると信じ、自前設計者の強化育成への時間確保を大切にする為にも、これまで開発工数のかかる製品モデリングデーター化業務の資源確保が、より低コストで効率的な運用を目指していたオフショア体制の継続は、この様な時期だからこそ重要であると考えていました。
その為、アールテクノ様に対しても運営費用削減、MDCの閉鎖(北米は継続)、MDHへの一本化体制への移行等様々なお願い、ご協力頂きました。

おかげ様で、今日では、MDH現地メンバー一層の能力向上、設計高効率化に結びついてきており、また、アールテクノ様のベトナムでの現地業務拡大の一助になったのではと思っております。
自社の製品は、デザイン意匠の高い内装、外装部品の開発が多く、外観への配慮、商品性が設計者の意図考えに現れ、製品データーとして表現していきます。その為、モデリング作業を行って頂くMDHメンバーが個々に理解度を高め、積極的なコミュ二ケーションから生まれる信頼関係がこれまで森六設計者とMDH発足から10年の歳月により築きあげることが出来てきた事が大きな財産だと思っております。
MDH10年を節目にこれまで築きあげた財産を、今後将来に渡り安定的な体制していく為には、お互い今後も在るべき姿を求め更にチャレンジする姿勢を忘れずに新たな運営体制
を考えていきたいと思いますので今後ともよろしくお願いいたします。
最後にMHD発足10周年にあたり(株)アールテクノ様並びにベトナム/MDHメンバー 各一同に改めまして感謝いたします。

森六テクノロジー株式会社 執行役員 グローバル開発担当 橋本一博 様
アールテクノさん(旧レボトレーディング)とのお付き合いは、2005年3月にインド人エンジニア2名を弊社の真岡開発センターへ派遣として受け入れた事からでした。当時は森六テクノロジー設計課長を担当しておりましたが、新機種開発が盛んな時期であり、慢性的な設計者不足に困っておりました。(国内派遣も引手あまた)
またCADシステム(CATIA)がV4からV5への移行時期とも重なり、モデリングの方法(当時ナレッジ設計という言葉が飛び交った時代)にも大変苦戦している時でした。
そんなある日、アールテクノという派遣会社より営業担当がコンタクトしてきたのです。来社され説明を受けましたが、正直不安であった事を良く覚えています。理由は言葉の面、文化の違いによる考え方、担当者とうまくコニュニケーションできるのか?などでした。とはいうものの、台所事情を考えればそんな事は言っておれず、まずは短期間で様子をみてみようと決断をし、契約の運びとなりました。
森六の設計業務スタイルは顧客からのインプット情報を入手後、要求要件に対し達成手法を含めた仕様構想を作成、周辺部品との設定、社内要件反映、3Dデータ化、2D図化、顧客へ提出と一連の作業を1名(部品によっては複数名)で担当しておりました。
そんな中でのV5移行(V4からの変化点は予想以上に大きかった)は設計者への負担が更に増えるようになっていきます。なぜならV5はより3D主体の設計手法になっており、データ作成にひと工夫入れる事が各社オリジナリティある意志入データになるのだと、またこれが特徴であるとわかったからです。ただその反面、今までのやり方にそういった要素を入れ込み、これを1名で担当する事は正直難しいと感じた我々は、それをどのように克服すべきか?と悩んでおりました。
そんな時ヒントになったのがプログラミングのオフショア開発だったのです。(当時の上司より)当時、インドがこの最先端をいっていました。この方法を我々の業務に活用できないかと思い、まずは設計業務のインプットからアウトプットの流れを分析し、我々が設計を、モデリングをインド現地で対応する、即ち業務の分業化をすれば出来るであろうと考えました。

そこからやるためのシミュレーションを行い、3時間半の時差などのネガもうまく活用する方法を考え、遠隔でやりとり可能なシステムを探し、何とか成立しそうな構想が立てられました。タイミング良くインドに長けたアールテクノさんとのお付き合が始まっておりましたので、早速吉山社長へコンタクト、我々のやりたい事を説明、“やれそうです、やります”と即答してくれたのです。(恐らく吉山社長の意図に合致したのでしょう。)
こうなると善は急げ、森六とアールテクノさん合同による現地F/Sを開始しました。いくつか調査しましたが、結果チェンナイにあるアールテクノさんの現地事務所一室をお借りし、モデラー要員の確保、CATIAの調達やセキリティーシステム設置、運営サポートもお願いする事で、現地での運営可能な環境に目途が経ちました。

そして、人材採用後、現地リーダー候補の日本研修を経て、ようやく2006年5月開設へと漕ぎ着ける事ができ、構想から約1年という月日が経過しておりました。名前はMoriroku Design Chennai(以降MDC)の誕生です。
開設から2~3週間は現地オフィスへ滞在し、構想通り日本とのやり取りができるか最終確認を行い、多少の問題もありましたが(一番は電力事情が悪く、短期停電が多い事くしかも暑いインドでは苦労したものの発電機を導入し解決)、ひととおりの作業確認を終え我々は現地を後にし、現地スタッフのみによる運用を開始しました。
日本は相変わらずの新機種開発ラッシュ、設計工数はまだまだ不足していました。MDCは業務面で安定していたものの、1年程度経つと退職者が出てきました。(勿論、アールテクノさんのサポートで即補充はできました)そんな時、アールテクノさんからベトナムの提案がきたのです。(当時の提案は“インドの7掛けでやれます“)

丁度我々は国内派遣が引く手あまたで価格が上昇、そもそも派遣人材も不足しており、またMDCの1拠点だけではリスクがあると感じていたため早速検討に入り、まずはベトナムでの現地調査を実施しました。
インドでの経験から調査項目もスムースに運び、コスト競争力がある事もわかり、とんとん拍子で事は運んでいきました。場所はホーチミンシティにあるアールテクノさんの現地事務所を間借りしセキュリティ含む改装を入れ、運営のサポートもお願いする事で(MDC同様の管理)環境は整い、MDC設立から約2年後の2008年6月、モデリングサテライト第二拠点であるMoriroku Design Ho Chi Minh(以降MDH)を開設しました。
その後2週間程度滞在し、システム作動確認、規定や運用ルールの教育、日本とのやりとりなど全ての確認を行い現地スタッフへバトンタッチし本格的に業務がスタートしました。
以降、両モデリングサテライトへは、年1回のペースで教育を含めた現地確認を行い運営して参りましたが、2011年の東日本大震災により弊社顧客が打撃を受け一部開発がストップ、開発運営方法の方向転換を余儀なくされ、苦渋の決断でしたがMDCにピリオドを打つ事になりました。
そんな苦難もありましたが、お陰様でMDHは6月で10周年を迎える事になり、森六設計課一同は最大限の感謝を込めアニバーサリーを現地で企画しております。
この記事を書きながら当時の記憶が蘇る中、人材不足で苦労していたとはいえ、随分冒険したと感じますし、皆に助けられたとつくづく感じておりますが、具体的には社内の賛同者やそれ以上にアールテクノさんの協力、中でも吉山社長自ら先陣を切り、即断即決をし、我々を牽引していってくれたからであると思っています。
10年を超える弊社へのご理解とご協力、また弊社要望に対する前向きな努力に大変感謝しております。
一方で10周年という節目を迎える中、振り返ってみますと、当初我々が掲げていた目的はほぼ果たしたのではないかと感じております。ついてはこの実績を背景に、次なる10年へ向けた新たな施策を見出し、更に良い方向へと舵取りすべきと考えております。
これからも無理難題を申すと思いますが、両社のますますの発展のためご協力下さい。
今後とも宜しくお願い申し上げます。

森六テクノロジー株式会社 技術研究所 設計課課長  後藤 薫 様
私とアールテクノ(旧REVOトレーディング)様とのお付き合いの始まりは、私がまだ現役の設計者として設計業務に従事していた2005年の『設計者とモデラー』としての関係がスタートとなります。
当時の弊社設計部門は慢性的な工数不足で、正規社員の他、複数の国内派遣会社からの派遣社員で日々の設計業務を行っておりました、そんな背景の中、アールテクノ様との関係がスタートし最初は数名のインド人エンジニアを弊社設計部門に派遣して頂き、モデラーとしての業務に従事して頂く事からスタート致しました。
先にも述べましたように、当時より多くの日本人派遣社員が在籍しておりましたが、当然ながらスキルのレベルには差があり、日々の切迫した状況の中、実務を対応する立場としては、『自分と一緒に仕事をして頂く派遣社員が誰なのか?』が、大きな不安要素の一つでありました、そんな状況下でインド人エンジニアと一緒に仕事をしていく事に対し、正直な所、当初は大きな不安を抱えながら関係がスタートした事をいまでも覚えております、しかし、この不安は一つの業務の区切りを迎える頃には無くなり、逆に信頼感が生まれておりました、日本人設計者と比較しコミュニケーションの面で全く同じ対応とは行かない事もありましたが、我々が意識し多少の工夫をする事で大きな障害となる事は無く業務を進める事が出来、何よりも彼らのモデリングのスピード、品質に関しては当初より高いレベルにあり、また、責任感、向上心も非常に高く、それらが彼らに対する信頼感に変化していったのだと思っております。今ではこれらがアールテクノ様の現地でエンジニアを採用する際の基準と、社内教育が徹底されていたからこその物だと感じております。
その後、インドでのオフショア開発がスタート致しますが、設計担当としてオフショア開発に対する不安は有りましたが、これまでに築き上げたアールテクノ様への信頼感より『きっと何とかなるのかな?』といった感情も正直な所、有ったように思います。
インドでのオフショア開始後、2回ほど現地に出向き、メンバーに対して弊社のモデリングに対する教育等をさせて頂きましたが、皆非常に熱心に聞き入っており、毎回予定時間を大幅にオーバーし、教える側もとしても大きな達成感を得られた事を覚えております。
その後、ベトナム人エンジニアの弊社への派遣、ベトナムでのオフショア開始となり、弊社とアールテクノ様のベトナムでの展開がインドと同様に発展して行きますが、ベトナム人エンジニアもインド同様にスキル、仕事に対する前向きさは高く、又、弊社社員による定期現地教育、時には弊社社員がベトナム現地に約1ヶ月出向きメンバーへの直接指示によるモデリング効率の向上施策等を経て、現在では我々の業務を行う上での、重要なセクションとなっております。
弊社のベトナムでのオフショアがここまで成長出来たのは、弊社要望に対するアールテクノ様の対応と、日本業務を行うベトナム人窓口、現地メンバーの頑張りがあっての事と感じ、感謝しております。
今年でベトナムでのオフショアを初め10年目の節目を迎えます、スタート時と比べパフォーマンス向上も十分に出来ておりますが、反面、ベトナム経済環境の変化に応じてコスト面も増加しており、これまでの10年と今後の10年では違った対応や体制の整備が必要と考えますので、今後共ご協力の程、宜しくお願致します。

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